世界文化遺産 富岡製糸場

富岡製糸場は明治5年に近代西洋技術を導入し、日本初の官営機械製糸工場として操業が開始されました。昭和62年まで115年間にわたり工場として機能し続けてきました。

2014年6月21日、伝統的な絹産業技術に西洋の技術を加えて発展させ、世界の絹産業の革新と大衆化に大きな役割を果たしたことが評価され、富岡製糸場と3つの関連施設が世界文化遺産として登録されました。

東繭倉庫(重要文化財)

 ・入口を入って正面に見える建物が東繭倉庫。木で骨組みをつくり、

  柱の間にレンガを積み上げて壁をつくる「木骨煉瓦造」という工法

  で作られています。

 ・1階は事務所・作業場として、2階は乾燥させた繭の貯蔵庫として利

  用していました。


乾燥場

 ・生糸の原料となる繭を乾燥させる場所です。

 ・平成26年の大雪により半壊したため、現在復旧工事が行われていま

  す。

社宅群

 ・東繭倉庫から西繭倉庫にいたるルートの途中に幹部用の社宅群があ

  ります。

 ・これらは民営化された後に立てられたもので、写真の建物は代々工

  場長宅として利用されてきました。

西繭倉庫(重要文化財)

 ・西繭倉庫は東繭倉庫と同じ工法でつくられ、大きさも同じです。

 ・長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m

繰糸場(重要文化財)

 ・繰糸場は、繭から生糸をとる作業が行われていた場所です。

 ・創業当時はフランス式の繰糸機300釜が設置された世界最大規模の

  工場でした。

 ・小屋組みには「トラス構造」を用いて中央に柱のない広い空間を確

  保し、室内の明かりを確保するため大きなガラス窓で採光がなされ

  ています。

 ・平面形状は東繭倉庫や西繭倉庫と同じですが、高さがやや低くなっ

  ています。

 ・長さ104.4m、幅12.3m、高さ12.1m

 


ブリュナ館(重要文化財)

 ・明治政府に指導者として雇われたフランス人のポール・ブリュナが

  家族と暮らしていた住居。

 ・後に工女に読み書きや裁縫などを教える夜学校として利用されまし

  た。

Written by 宇高道雄